| 京都御所の西側を散策 護王神社・日本聖公会聖アグネス教会・菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ) 2009.11.5 |
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| 護王神社(ごおうじんじゃ) 主祭神・・・和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと) |
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| ↑狛犬の代わりに雌雄一対の狛イノシシがおかれており、 「いのしし神社」とも称されています。 「日本後紀」に、 (和気清麻呂公が京より宇佐へ向かわれた際、災難にあわれたのを300頭 ものイノシシが現れて、清麻呂公をお護りしたとあることから・・・) |
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←和気清麻呂・・・天平5年(733)、現在の岡山県和気町生まれ。 和気広虫姫は、清麻呂公の姉で宮廷に使え、 死罪になり身寄りを失った子供達など多くの孤児を養子として 養育していたそうです。 道鏡事件 奈良時代末、称徳天皇の神護景雲3年(769)、当時法王となり権勢を ふるっていた弓削道鏡は、天皇の位を我が物にしようと、 太宰府の習宜阿曽麻呂に宇佐八幡より「道鏡を皇位に就かせたなら 天下は太平になる。」との御神託があったと奏上させました。 驚いた称徳天皇は、清麻呂公に宇佐八幡へその御神託が 本当かどうかを確かめさせることにしました。 神主から伝えられた御神託は阿曽麻呂が奏上したとおりでしたが、 清麻呂公は御神前にひれ伏して、 「今の託宣は信じ難し。願わくば真意を示したまえ。」と叫びました。 すると、光の中から宇佐の大神が現れ、次のような御神託を下されました 「天皇の後継者には必ず皇族の者を立てなさい」 清麻呂公を大隅国(鹿児島県)へ、広虫姫を備後(広島県)へ流罪に!! のち、称徳天皇の崩御により、道鏡は失脚し、 光仁天皇によって清麻呂公と広虫姫は許されて都へ呼び戻されました。 その後清麻呂公は豊前守、摂津太夫を歴任するなど、 めざましい活躍をされました。(HPより抜粋) 。 京都御所蛤御門(はまぐりごもん)の向かい側 京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町 |
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| 日本聖公会聖アグネス教会 | |
| 平安女学院の礼拝堂として建設されました 京都市上京区烏丸下立売角 室町時代に足利義昭の御所(旧二条城)が 造営されていた場所だそうです |
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菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ) |
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| ↑菅原道真(みちざね)はこの邸宅で誕生したと言われ、 境内社務所の北にある「菅公御産湯の井」 |
京都市上京区烏丸通下立売下る堀松町406 |
小さな旅
2009.11.5