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瀬戸の街
せとものの歴史を訪ねて
(愛知県瀬戸市) 
2009.10.4
↓やきものの橋めぐり
(瀬戸川に架かってます)
東橋・・・ねずみ志野 宮脇橋・・・黄瀬戸の陶板に十二支が描かれています。
神明橋
宮前橋・・・江戸時代の陶工の様子が染付けで描かれています。
まっすぐ進むと、深川神社です。
窯神神社(カマガミジンジャ)
九州有田から磁器の製法を伝えた、磁祖・加藤民吉を祀る神社。
磁祖・加藤民吉の生家跡(尾張瀬戸駅よりすぐ)
陶器製の狛犬は、檻の中にいました。







登り窯を模した珍しい社

「せともの祭」はこの神社の神事であり、
民吉の命日にちなんで毎年9月に開催されている
そうです。
本殿は珍しい登り窯の形をしています。
加藤民吉像
瀬戸の陶工の次男として、1772年に生まれた民吉は、
津金文左衛門(つがねぶんざえもん)や加藤唐左衛門(かとうとうざえもん)
の力を借り、九州へ渡りましたが、
なかなかよそ者には教えてもらうことができなかったそうです。
3年後磁器の製法を修得して瀬戸に帰りました。
江戸時代末期、「せともの」で知られる陶都・瀬戸は
肥前・有田を代表とする磁器に押され、窯業界は不況に喘いでいました。
民吉は製法を人々に伝え,瀬戸は再び「焼き物の町」として栄えたそうです。
中興之祖、磁祖と云われる所以です。

 
飲水思源碑
民吉は、九州での修行の際、本渡(現天草市)の東向寺で
菱野(瀬戸市)出身の天中和尚に大変お世話になりました。
瀬戸市は1959年(昭和34年)、その東向寺開山300年記念として
「民吉翁之碑」を贈りました。
磁器の原料でもある天草陶石のこの「飲水思源」碑は、
その返礼として1962年本渡市より贈られたものです。


天草陶石は、国内の他の産地の陶石と比較して、
質量ともに日本一を誇っている。他の原料と混ぜることなく
磁器が作れるのは天草陶石だけだとか・・・

 
愛知県瀬戸市窯神町
無風庵
瀬戸の陶芸の確立に大きな影響を与えた藤井達吉ゆかりの草庵
日本昔話にでてきそうな、茅葺き屋根の家でした。
「こんな家に住みたい」という声も聞こえてきたり・・・
織部焼きのお湯のみで、お茶もいただき、ちょっと休憩!

藤井達吉は、美術工芸家で、瀬戸の陶芸や小原の和紙工芸の
現在の発展の基礎を築いたと言われています。

愛知県瀬戸市
仲切町51
↓深川神社
宝亀2年(771)創建の格式ある神社
陶祖・藤四郎がこの神社のお告により良質の土を得たという伝承から、瀬戸の産土神と言われます。
宝物殿では藤四郎作と伝えられる重要文化財の陶製の狛犬が見られるそうです。

愛知県瀬戸市深川町11
隣接する陶彦神社 (スエヒコジンジャ)
文政7年(1824)に創建。
瀬戸のやきものの祖と言われる
加藤四郎左衛門景正(藤四郎)を祀る神社。別号は春慶



加藤四郎左衛門景正(かとうしろうざえもんかげまさ)が、
貞応2年(1223)に永平寺(えいへいじ)を創建する僧道元(どうげん)に
従って入宋し、陶法の修業の後帰国します。
その後、製陶に適した土地を探し各地で試し焼きを行った末、
ついに仁治3年(1242)、瀬戸において良土を発見し窯(かま)を
築いたのが瀬戸焼(せとやき)の始まりだと伝えられています。

↓法雲寺
愛知県瀬戸市深川町30 境内に置かれている陶製の梵鐘は、第二次世界大戦中に
強制供出されてなくなった金属製の梵鐘の代用品として奉納されたもの。
陶祖公園 (トウソコウエン)
陶祖碑
陶製の六角塔で1867年に建立
↑明治5年に作成された「志野焼燈篭」
国内最大級の大きさで市指定有形文化
愛知県瀬戸市藤四郎町
街の風景
 
パルティせと(左隣が尾張瀬戸駅です) せとものを販売しているお店
瀬戸永泉教会


瀬戸市杉塚町5番地
銀座通り商店街 看板は洋服店なのに、なぜか店内はやきものが・・・

陶磁器を「せともの」と呼ぶのは、尾張瀬戸が一大産地だったから。
瀬戸という地名は「陶所」、つまり「すえと」が転じて「瀬戸」になったといわれています。

赤津から瀬戸まで、車だと10分くらいで到着しました。
このあたりは、さすがにやきもの、せとものの町だけあって、窯元が点在しています。

では、これから、赤津の宮地さんの奥さんに教えていただいた、多治見の”市の倉陶の里フェスティバル”へ
(赤津焼きはこちらへ)
(洞町、窯垣の小径は、こちらへ)

  小さな旅

2009.10.4


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