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浮御堂
(海門山満月寺・・・京都臨済宗大徳寺派の禅寺)
滋賀県大津市
2009.9.20
平安時代(995年頃)、比叡山横川の恵心(源信)僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したといわれています。
近江八景の一つ、「堅田の落雁」として知られる景勝地
↑本坊
ひさしを這う様に延びている松の
が印象的です。
向こうに見える橋は、琵琶湖大橋です。沖ノ島も見えますね。
”鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂”松尾芭蕉の歌碑
(元禄4年(1691)十六夜に月見の宴
にて
三上山とヨット
橋を渡り、くつを脱いでお堂へ
お隣の魚清楼 (ウオセイロウ)さん
100年以上の歴史をもつ鴨すきの老舗です。
橋の反対側は、琵琶湖を独り占めできる一等席です。
風が強かったですが、気持ちよく、
いつまでものんびりしていた〜い!!

拝観料300円

滋賀県大津市堅田1-16-18
高浜虚子の湖中句碑
”湖も この辺にして 鳥渡る”
この辺りは、琵琶湖の最も狭い部分に位置しているので、
こんな句を読まれたんでしょうか?



平成6年の夏は、琵琶湖も大渇水で、水位がマイナス1メートル以上にもなりました。
その当時、子供を連れて、浮御堂を見にきたのですが、陸続きになってしまい、、ぬるぬるとしながらも、
歩いて近くまで行くことができ、貝などを拾ったことを思い出しました。
湖族の郷資料館
祥瑞寺(しょうずいじ)
臨済宗大徳寺派
一休和尚が、22〜34才頃まで修行した禅寺であり、また、芭蕉も元禄3年(1690)の秋に訪ねており、境内には句碑があります

↑一休和尚修養地
一休は1394年(応永元年…今から600年ほど前の(室町時代中期)元旦に生まれました。
父は後小松天皇(ごこまつてんのう)、母は伊予の局(いよのつぼね)。 幼名は千菊丸。
母が南朝方だったため謀略により宮廷を出なければならず、安国寺で剃髪をし仏門に入ります。
安国寺の外観和尚に「周建」という名を頂きます。有名な“このはし渡るべからず”と “つい立の虎”の話は周建8歳の時の話だそうです。
17歳の時、西金寺の謙翁和尚の弟子になり名を「宗純」と改めます。
謙翁和尚の死後、21歳の宗純は、祥瑞寺の華叟(かそう)宗曇禅師の元で修行を続けました。

有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)に帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け
(この世は、前の世から後の世へ行く道中のかけ茶屋で一休みしているようなもの。ほんのつかの間のことだから、
どんなに風が吹き雨が降ろうとも辛抱しよう)
 
華叟禅師はその歌の中から名を取り「一休」という法名を授けます。 宗純、数えで25歳の時、こうして「一休」となったのです。
やがて京都にある大徳寺の大僧正になり、歴史に残る有名なお坊さまとなりました。

大津市本堅田1-27-20
ヴォーリズ建築の日本基督教団堅田教会
トンガリ屋根の角塔がかわいい!!
キリスト教伝道師で数々の近代建築を手がけたことでも知られるウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880年−1964年)の建築事務所が設計し、
昭和5年(1930年)に完成しました。ヴォーリズが全国で建築した400棟のうち現存する数少ない建物の一つだそうです。

滋賀県大津市本堅田3-18-6

プルーン ↑天然図画亭(居初イソメ家
茶室からの眺めが琵琶湖など自然の風景を切り取ったように見えたことから
「天然図画(ずえ)亭」と名付けたそうです。
伊勢平氏の流れを汲み平安時代、院の御所をお護りする北面の武士であったらし
い。
東洋紡績株式会社の長い塀から見えた年季の入った建物





空は澄み切り、申し分のないお天気でした。
が、夏の暑さに疲れた身体には、日差しが強く感じられ、
日傘を差していても、暑かった〜

  小さな旅

2009.9.20

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